1995年
後期は白木建太郎選手と田中寿美子選手が同点優勝
プレーオフの結果、白木建太郎選手が後期優勝となる。
後期は総ゲーム数386と神話時代を含めても最大。

第13期[こな雪しんしんトーナメント] のシーズン成績(抜粋)
 選手名  ゲーム 優P計 上位 上位率 合計点 平均点 ST ST平均 SP ミス スペア率
田中久 12   88   10 83.3%  2043  170.3  45 3.75  45 25 64.3% 
田中寿美子 18   57   15 83.3%  2879  159.9  46 2.56  82 38 68.3% 
松本昌士 21   46   12 57.1%  3117  148.4  49 2.33  82 68 54.7% 
松本誠司 21   45   17 81.0%  3519  167.6  63 3.00  97 43 69.3% 
杉原陽一 21   42   11 52.4%  3013  143.5  55 2.62  64 85 43.0% 
合計平均 258 452 126 48.8% 36050 139.7 580 2.25 848 1019 45.4%

第14期[APECシリーズ] のシーズン成績(抜粋)
 選手名  ゲーム 優P計 上位 上位率 合計点 平均点 ST ST平均 SP ミス スペア率
田中寿美子 20   100   15 75.0%  3129  156.5  57 2.85  74 54 57.8% 
白木建太郎 21   100   19 90.5%  3227  153.7  50 2.38  86 59 59.3% 
奥山満夫 15   74   12 80.0%  2441  162.7  49 3.27  62 35 63.9% 
杉原陽一 20   68   17 85.0%  3189  159.5  63 3.15  71 58 55.0% 
立道 勉 18   68   6 33.3%  2223  123.5  37 2.06  44 98 31.0% 
合計平均 386 807 189 49.0% 50067 129.7 779 2.02 1117 1771 38.7%

第7回千里シリーズ
前期
田中 久
○190
●118
●134
●134
●157
144●
179○
151○
161○
198○
後期
白木建太郎


1995年というと震災のあった年です。今、新潟県中越地震の被害を見ているとあの頃を思いださずにはいられません。いやホントにボーリングができるなんて幸せですよね。私は浮沈艦殿のようにパワーがありませんからなるべくスペアを取ってスコアを崩さないという気持ちがありました。手を離れたボールがイメージした曲線を描いてピンを弾いてくれる感覚はたまりませんよね。でもそれが難しいんですねぇ。                        (田中久)

私がWBF(鉄研)に参加したきっかけは、高校時代のクラブ「エレ研」の上官・自称鬼軍曹こと松本昌士さんが参加されていたことに端を発します。この95年の前後は、そのエレ研メンバーも多数参加しており、6レーンに4人入ることも珍しくないほどの盛況ぶり。入賞ポイントも非常にバブリーでした。で、なんと後期シーズン、私と田中寿美子ママの二人もがWBF史上初の100ポイントをゲット。結果、これも初となるプレーオフを行ったのです。ハンデのおかげもあり、プレーオフを勝ち抜いた私は、前期優勝者・田中軍団第2の刺客・田中久先生と千里シリーズを戦いました。後期シーズンを最高の形で終えた登り調子の私は久先生も退け、晴れて千里シリーズ初優勝の栄冠を手にしました。                (白木建太郎)



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