| 1994年 |
| 参加者の半数にポイントが付くように制度が変更しました。 ポイント公式 1着:人数+9 2着:人数+4 3着:人数+1 4着以下 人数-7,-9,-11,-13,‥‥0になるまで 暫定ハンデも変更:(205−最高点)*0.6 (暫定ハンデは前回のハンデを下回れば更新される) 会場をセルシーボウルに固定しました。 |
| 選手名 | ゲーム | 優P計 | 上位 | 上位率 | 合計点 | 平均点 | ST | ST平均 | SP | ミス | スペア率 |
| 松本誠司 | 15 | 60 | 15 | 100.0% | 2713 | 180.9 | 50 | 3.33 | 75 | 22 | 77.3% |
| 島和男.com | 21 | 57 | 10 | 47.6% | 2989 | 142.3 | 52 | 2.48 | 67 | 82 | 45.0% |
| 田中久 | 12 | 41 | 5 | 41.7% | 1611 | 134.3 | 24 | 2.00 | 37 | 54 | 40.7% |
| 城戸秀行 | 12 | 35 | 8 | 66.7% | 1737 | 144.8 | 24 | 2.00 | 48 | 45 | 51.6% |
| 田中寿美子 | 18 | 35 | 10 | 55.6% | 2599 | 144.4 | 35 | 1.94 | 67 | 61 | 52.3% |
| 合計平均 | 176 | 301 | 81 | 46.0% | 23521 | 133.6 | 335 | 1.90 | 565 | 753 | 42.9% |
| 選手名 | ゲーム | 優P計 | 上位 | 上位率 | 合計点 | 平均点 | ST | ST平均 | SP | ミス | スペア率 |
| 島和男.com | 18 | 68 | 13 | 72.2% | 2744 | 152.4 | 50 | 2.78 | 62 | 52 | 54.4% |
| 城戸秀行 | 21 | 65 | 12 | 57.1% | 2743 | 130.6 | 45 | 2.14 | 59 | 90 | 39.6% |
| 奥山満夫 | 11 | 39 | 9 | 81.8% | 1687 | 153.4 | 30 | 2.73 | 42 | 35 | 54.5% |
| 島 裕二 | 15 | 38 | 10 | 66.7% | 2105 | 140.3 | 34 | 2.27 | 48 | 63 | 43.2% |
| 白木建太郎 | 18 | 35 | 8 | 44.4% | 2319 | 128.8 | 29 | 1.61 | 53 | 88 | 37.6% |
| 合計平均 | 272 | 496 | 136 | 50.0% | 34704 | 127.6 | 503 | 1.85 | 774 | 1293 | 37.4% |
| 前期 松本誠司 |
●136 ○173 ●176 ○179 ○166 ○192 |
200○ 157● 186○ 163● 127● 171● |
後期 島 和男 |
12期 いわゆる『エレ研勢』が大挙して参加を果たし、WBFが最大に盛り上がった時期でありましたね。このような中、城戸秀行君との第7戦にもつれるマッチレースを制して初のステージ制覇を果たすことができました。今から思えば、壮絶な強豪メンバーがあれだけ揃った中でよく優勝できたなあと…このステージ優勝を私は今でも誇りとするものです。あれからもう10年経ちましたが2度目のステージ優勝を果たすことが残念ながらできません。今期(30期=04年)は久々にチャンスが巡ってきましたが、白木君が強すぎて悲願はいまだ果たせずじまいです。 【島和男.com】 |
| WBFも6年目を迎えたこの年、90年度以来のポイント制度が変更された。1位から3位までは従来通りで、加えて4位以下に入賞者にもポイントを与える。ポイント付与対象は、その試合の参加人数のうち、上位半数の選手(例えば10人参加なら5位まで)という制度になった。 この背景には、各選手のレベルアップが著しく、3位争いが僅差の勝負になる試合が増えたことがある。「頑張っても、4位ではポイント無し」これが各選手のモチベーションの低下につながることを懸念し、新制度導入に踏みきった。ちなみに、このポイント制度変更の叩き案を作ったのは、僭越ながら筆者であった。(と思う。違ったらゴメン) さて、またまた私事で恐縮だが、この94年の後期、WBF公式戦にて初の200UP(221点)を記録。その日はもう狂喜乱舞、脳内リオのカーニバル状態でした。あははのは!(馬場 毅) |
| wbf |