1990年(ハンデ制導入)
ハンデキャップ制度が導入されるとともに3着までポイントが付加される制度となり
多くの選手が優勝争いに参加できるようになった。
 ポイント公式   1着:人数+9   2着:人数+4   3着:人数+1
公開試合(8試合)のみ記録に残すことになり、試合数は激減した。
後期は公開試合9試合。
優勝トロフィを作成し、会場のレーン予約も行いボウリング大会の形ができた。
奥山選手が千里シリーズで3連敗のあと4連勝しシリーズ制覇した。

第3期[WBFニューイャーダッシュ'90] のシーズン成績(抜粋)
 選手名  ゲーム 優P計 上位 上位率 合計点 平均点 ST ST平均 SP ミス スペア率
下永義久 24   55   17 70.8%  3427  142.8  62 2.58  77 90 46.1% 
ジョー・タカミ 21   51   10 47.6%  2772  132.0  41 1.95  60 100 37.5% 
田中寿美子 23   45   16 69.6%  3221  140.0  39 1.70  92 79 53.8% 
奥山満夫 10   42   7 70.0%  1443  144.3  30 3.00  24 41 36.9% 
馬場 毅 17   38   7 41.2%  2183  128.4  30 1.76  55 81 40.4% 
合計平均 247 380 117 47.4% 31574 127.8 419 1.70 750 1166 39.1%
第4期[WBFバーニングウェーブ'90] のシーズン成績(抜粋)
 選手名  ゲーム 優P計 上位 上位率 合計点 平均点 ST ST平均 SP ミス スペア率
奥山満夫 15   88   13 86.7%  2284  152.3  37 2.47  56 50 52.8% 
田中由佳 24   79   18 75.0%  3182  132.6  38 1.58  87 96 47.5% 
松本誠司 24   59   20 83.3%  3534  147.3  53 2.21  95 75 55.9% 
田中久 27   40   13 48.1%  3380  125.2  39 1.44  78 126 38.2% 
田中寿美子 21   39   15 71.4%  2961  141.0  34 1.62  88 68 56.4% 
合計平均 333 471 163 48.9% 41575 124.8 527 1.58 959 1647 36.8%

第2回千里シリーズ
前期
下永義久
○151
○144
○173
●136
●166
●157
●102
148●
113●
146●
171○
212○
230○
221○
後期
奥山満夫

 WBF2年目のこの年、大きな変革が2つあった。ひとつは、89年度は1位入賞者のみに与えられたポイントを、3位入賞者までに与えること。もうひとつは、過去の成績に基づくハンディキャップの導入である。これにより各選手が自分の実力を最大限発揮すれば、必ずポイントという形で現れ、より楽しく、かつ真剣にボウリングができるようになったと言えよう。実際、初年度に比べてポイントを得た選手の数は数名から十数名に飛躍的に増え、その差も拮抗しており、毎試合白熱したスリリングな展開となった。
 さて、また私事で恐縮だが、当時この3位までのポイント&ハンデで最も有利になるのは、他ならぬ筆者であると言われていた。で、フタをあけてみると、確かにそれなりにポイントゲットできたけど…シーズン優勝には手は届きませんでした。いと悲し。                                              (馬場 毅)

 この年かなぁ、マイボールを買ったのは。そんで練習試合(確か島さんと昌士さんだった)の中で9連続ストライク279点という、今でも出せそうもないスゴいスコアを出したんです。でもこの年から3人集まるだけでは非公式戦扱い。私の記憶の中にだけあるハイスコアなのです。                           (松本誠司)



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