2000年
マイナスハンデ制を導入しました。

第23期[WBFミレニアム] のシーズン成績(抜粋)
 選手名  ゲーム 優P計 上位 上位率 合計点 平均点 ST ST平均 SP ミス スペア率
岩田修一 16   54   4 25.0%  2106  131.6  32 2.00  53 80 39.8% 
松本昌士 12   41   4 33.3%  1621  135.1  25 2.08  34 54 38.6% 
松本誠司 21   33   13 61.9%  3254  155.0  48 2.29  93 55 62.8% 
島和男.com 18   25   16 88.9%  2854  158.6  52 2.89  66 52 55.9% 
ジョー・タカミ 12   25   4 33.3%  1659  138.3  33 2.75  29 58 33.3% 
合計平均 199 348 94 47.2% 28249 142.0 455 2.29 675 766 46.8%

第24期[ボウリングサミット2000] のシーズン成績(抜粋)
 選手名  ゲーム 優P計 上位 上位率 合計点 平均点 ST ST平均 SP ミス スペア率
白木建太郎 18   51   12 66.7%  2999  166.6  62 3.44  70 36 66.0% 
松本誠司 21   49   14 66.7%  3535  168.3  66 3.14  92 48 65.7% 
奥山満夫 18   38   12 66.7%  2953  164.1  59 3.28  69 48 59.0% 
島和男.com 15   30   5 33.3%  2244  149.6  42 2.80  48 58 45.3% 
馬場 毅 18   29   7 38.9%  2597  144.3  38 2.11  68 65 51.1% 
合計平均 176 286 81 46.0% 26444 150.3 471 2.68 621 583 51.6%

第12回千里シリーズ
前期
岩田修一
●112
●123
●117
●136
192○
172○
174○
203○
後期
白木建太郎


 20世紀最後のこの年は、マイナスハンデという恐ろしい(すばらしい)制度が導入された年でもあります。この年、マイナスハンデを課せられながらも、またも後期シーズン調子よく、3度目のシーズン優勝を納めることができました(ここまで私はすべて後期優勝)。で、当時の千里シリーズは素点勝負。マイナスハンデの呪縛から逃れた私は、前期優勝者の岩田君をまさに「コテンパン」に叩きのめし、2度目の総合優勝・世紀末覇者になりました。
ちなみにこのころはシーズンごとにサブタイトルが付けられていて、私的には楽しみの一つでした。2000年後期は「ボウリングサミット2000」、沖縄サミットが開かれたことから名付けられました。サブタイトルから当時の時事ネタを振り返ることもできるなんて、WBFって社会派ですな。
                                     (白木建太郎)



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